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失敗は「石鹼」の母なり。

横浜グッズものがたり

●国境も時空も超えて生き続けるアート

●社会を明るく照らすチカラ

●消えゆく童謡を、伝え続けるグッズ

●業平、新西蘭、南阿弗利加、なんて読む?

●青だけで表現するYOKOHAMA

●あけてビックリ、TeaならぬTee!

●今日もどこかで「ようこそヨコハマへ!」

●青い斑点は、元気のしるし!

●ひら ひら キラ キラ わく わく

●大風呂敷を広げる。

●「お荷物」じゃないよ。

●和か?洋か?

●晴 のち 霰

●すばらシー!

●失敗は「石鹼」の母なり。

●Beeeeeeeeee……rいろいろ。

 明治6(1873)年、この国で最初にせっけんの製造に成功したのは、横浜の堤 磯右衛門だ。
 彼のせっけん製造への道は谷坂、山坂、失敗の連続だった。ある日、またも失敗した原料を捨てようと溶かせておいたところ、おどろいたことに翌朝それが固まり、良質のせっけんになっていた。ハテ?と首をひねったすえ、思い当たるのはきのうのこと、失敗はもうたくさんと原料を捨てる際、ふりかけたおいの塩のイタズラだった。
 彼がつくった最初の洗濯せっけんは、1本10銭で西洋洗濯屋に売られた。翌年には化粧せっけんの製造販売に成功。その後害虫駆除の鯨油せっけん、塩水で使える海水せっけん、コレラ予防の石炭酸せっけんなどを売り出しその名を高めた。
 失敗は「石鹼」の母なり。
 舞台は変わってアメリカ。オハイオ州シンシナティで小さな会社を起こしたW・プロクターとJ・ギャンブルが、試行錯誤のすえ、かねてから念願の白くて香りよい「ホワイトせっけん」を開発した。泡立ちよく売れ行きも上々だった。
 ある日、工場の係が攪拌機のスイッチを切り忘れたままランチに出かけ、帰ってきたら、さあタイヘン!攪拌オーバーでせっけん液に余分な空気が混入してしまった。捨てるのはもったいないと、彼はこれを型に流しこみ製品にしてしまった。
 意外やお客からは「水に浮くせっけん」と大好評!1879年、発売以来のすぐれたマーケティングとあいまって、いまもP&Gの看板ブランド「アイボリーせっけん」として、グローバルに親しまれている。
失敗は「石鹼」の母なり。 __文:蟻田 善造 ARITA zenzo ARITA zenzo
磯右衛門SAVON磯右ヱ門SAVON
横浜開港資料館保存の金型を忠実に復刻。「本釜焚き」の素地で、
きめ細かい泡立ちとスッキリした洗いあがりが特長。
母の移り香をイメージする懐かしい化粧石鹼です。
1コ、80g ¥660 3コ入りセット ¥1,980


商品は下記オンラインショップにてお求めいただけます。
madeinyokohama